March 26, 2011

(無)計画停電。(ジンバブエの場合)

慰めにもならないでしょうが、世界にはこんな電力会社、(無)計画停電もある、というお話。ジンバブエ電力公社(Zimbabwe Electricity Supply Authority:通称ZESA)の件。

最初に申し上げておきますけど、ジンバブエってかつては先進国並の国だったんですよ。南アフリカと同等かむしろ上で、宗主国イギリスによって都市もインフラも整備され、農業も製造業も活発で、教育や医療も整ってた。1980年代頃までは、アフリカの「bread basket」と言われるくらい豊かな土地が広がってたんですよねぇ。それが徐々におかしくなってきて、白人敵視、欧米敵視政策をとるようになった2000年代に完全に破綻してしまったんです。そして2008年に経済が崩壊、どうしようもない国になりました。世界の鼻つまみ者です。

そんな経緯があるので、住宅は停電を前提とした設備がないのが普通。たとえばガーナとかバングラデシュのような正真正銘の途上国の場合、当然インフラも整備がままならないので、一定水準以上の生活を営む人(多くの外国人も含まれる)の住む家やアパートは最初から停電があることを前提とした設計になっているんですよね。敷地内に発電機があって、停電の時はそちらに切り替える設計になっていたりする。が、ジンバブエの場合は、元は停電なんてないちゃんとした国だったので、そういう設計になっている家は少ない。

ZESAは公営企業で無責任経営、ムガベ大統領与党の利権になってもいたので、国の政治経済が無茶苦茶になるに従って、当然のように無茶苦茶になっていきました。

まず、電力インフラの維持管理ができなかった。ジンバブエの主力の発電所はカリバ水力発電所とワンゲ石炭火力発電所なんですけど、カリバの方はジンバブエ独立前、植民地時代の1960年頃に建設されたものでそれ以降はチマチマとした場当たり的修理はやったものの、大規模な修理はできていないので、本来の発電容量の半分とかしか発電できていない。ワンゲの方も、最後に大規模に設備投資したのは1980年代。さらには、燃料の石炭は国内で産出できていたんですけど、経済破綻で鉱業も著しく停滞してしまったので、まともに稼働できていない。

結果どうなったかというと、ジンバブエ国内で必要とされる2500MWのうち、全部合わせても1000〜1500MWしか発電できないという有様に陥ったわけです。それで、隣国(モザンビーク、ナミビアなど)から電力を輸入する、という手に出たんだけど、経済が崩壊しているので支払いが滞る。巨額の債務が出来る。設備投資が出来ない。という悪循環。

経済が極度に悪くなったので、生活苦からの電線の盗難も多発。変電設備の故障も修理できず、どんどん供給能力が落ちて、停電が日常茶飯事になっていきました。

みんなが電気を使う時が逼迫するので、一般家庭では朝方と夕飯時の停電、工業地帯では昼間の停電が多いらしいです。停電しても、まあ一般家庭であれば、数時間すればまた電気戻ってくるかなぁ、夜9時過ぎたら復活するかなぁと、ある程度は予測が付くことも多いんですが、たまには一日中、地域によっては数日にわたって停電が続いたりしているみたいです。

もちろん、電気料金もまともに課金できてない。そもそも自国通貨がハイパーインフレを起こしていた時期があったので、いくら課金すべきなのかも分からなくなってしまってる。それで、自国通貨が事実上廃貨されたあとは、便宜上米ドルで、大きな家は月40ドル、集合住宅は月20ドルとか適当な集金を始めたんですけど、そんなんじゃZESAの債務が解消されるわけもなく、私の知人宅にもよく意味不明な請求が来てました。先月まで40ドルだったのに、今月は800ドル、とか。もう管理もなにも無茶苦茶になってるので、取れるところから取ろうとしているだけだと思いますよ。外国人で金回りの良さそうなところにはふっかけるだけふっかけてみる。金持ちでも、ムガベ大統領与党の有力者のところは電気料金を払っていないというウワサだし。

で、800ドルとかの請求がきたら、ZESAに交渉に行かねばならない。自分で自宅の電力消費の記録をつけて、請求が法外であると主張せねばならない。しかし、このとき、交渉がまとまらなくても、まったく払わないで帰ってくるとマズいらしいんです。ZESAが電気を止めるから。それも、物理的に配線が切られて修復に時間がかかる羽目になるので、小額でも払って来るのがコツらしい。払っていれば、電線切られることはないらしい。んで、しばらく粘り強く交渉すると、相手が折れて800ドルが100ドルになったりするんです。もう、支離滅裂。

さらにひどいことに、ZESAはムガベ大統領与党支持者の利権なので、管理職の給料が無茶苦茶に高い。公務員の給料が月200ドルとか300ドルとか、首都で6人家族が生活するには月500ドル〜1000ドルはかかるね、といってるところで、月給4000ドルから1万ドル以上をもらってるんです。しかも、そういう管理職が異常にたくさんいる。そいつらの給料は払いつつ、設備投資は資金がないのでできない、困った困ったと言い続けているんですよね。

さらにさらに、停電させる地域の割当もひどくて、大きい病院のある地区や病院が多い地区への送電を優先するのは分かるとしても、次に優先されるのがムガベ大統領公邸及び私邸のある地域、次がムガベ大統領与党支持の有力者や中央銀行総裁などの私邸がある地域、そしてZESAの本社ビル、もっとも頭に来るのが、ZESAの社員住宅も優先的に送電されている様子。

いったい、何のための電力会社やねんってつっこみたくなるよね。仕方ないので、外国人や白人市民は自宅に小型の発電機を据え付けたり、インバーター(電気のあるときに電池に充電しておいて、停電したら電池の直流から交流に変換して使う装置)を買ったりしてる。鉱業系の大きな会社の中には自前で発電所を建てたり、隣国モザンビークの電力会社と契約して国境を越えて送電してもらってるところもある。貧しい黒人居住区では、パラフィンを使うコンロ(キャンプ用みたいなの)とか、未だに薪を使ったりしてる。ガソリンスタンドで薪を売ってるときあるもんね。

幸い我が家は、停電した場合は朝6時半〜7時半、夜6時〜9時は、管理人が同一敷地内にある6世帯で共用の大型ディーゼル発電機を運転してくれるし、だいたい停電はこの時間帯に収まる。昼間は停電してても自分が家にいないしね。で、夜9時以降とか予想外の時間帯に停電した場合は、小さなインバーターがあるので、電子レンジや冷蔵庫は動かせないけど、最低限の照明は数時間はもつのでなんとかなる。加えて、電気料金を家賃込みにする契約にしているので、ZESAとの交渉は管理人がやってくれているので手間がかからないよ。その分、若干家賃割高だけどね。でも、そうでもしないと毎日電力会社や電話会社との交渉に明け暮れて仕事になんないでしょうよ。

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世の中にはこんなひどい電力会社もあります。だから東京電力がグダグダでも許してあげてね、などと言うつもりはありませんが、まあ電力会社が相当ひどくても意外となんとかなっちゃったりするもんだよ、というくらいのことは言えそうです。

March 21, 2011

バックパッカーのきみへ。

バックパックを背負って世界一周に出かけた○○くんへ。

今はどのあたりを旅行中でしょうか?

あなたがアフリカの我が家に寄ってくれたのも、もう2週間前の話になります。旅ももう、ずいぶん長くなってきましたね。

もうすぐ地震発生から10日になります。
今回の地震については、どのくらい情報を得られていますか? 途上国を旅行中では詳しい情報を得るのは難しいとは思いますが、並の震災でないことは既にお聞き及びですよね?

地震、津波で阪神大震災を大きく上回る犠牲者が出ているだけでなく、いまだ被害の全容、犠牲者の数さえ掴めていない状況です。さらには福島第一原子力発電所が大きな被害に遭い、今も放射線被爆と戦いながらの懸命の作業が進められています。

天皇陛下がテレビでお言葉を述べられるという場面もありました。

原発事故のせいで都内も計画停電(といっても計画通りにはいっていない)が実施され、情弱な高齢者や主婦たちが不必要な食品の買い占めや東京からの避難に走り、緊迫した空気があるようです。電車の間引き運転や商店の営業時間短縮も続いています。

現在、警察、消防、海保、自衛隊が総力を挙げているほか、空母ロナルド・レーガンも三陸沖に停泊し米軍も大々的に救援活動に当たっており、100を超える国と国際機関からの援助の申し出を受けながら数々の緊急オペレーションが続いています。

震災から10日を過ぎ地震直後のショック症状は次第に収まりつつありますが、その深い傷跡の前に呆然とし、もはや10日前の日本には戻れない現実を噛み締めています。

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日本は、2011年を、1868年、1945年と並ぶ時代の節目として記憶することになると思います。

「失われた20年」といわれ、閉塞感に苛まれながら、徐々に徐々に疲弊しながら、しかしなんとか持ち堪えてきた日本社会が、この震災を機に、不連続に、次の時代に突入していくような感覚を覚えています。高度経済成長、バブル時代、「失われた20年」、そして「震災後」。あたらしい「戦後」の始まりのような空気を感じます。

今回の震災で失われた命は数万の単位になることが確実で、失われた命はもはや取り戻すことはできません。しかし、この未曾有の震災にあってなお冷静さを保ち、震災直後から、助け合い再起に踏み出そうとする強さを見せる日本人の姿は印象深いものがあります。ひとりひとりが、自分には何ができるかを省みて、あたらしい時代にむけて歯を食いしばろうとしています。私も、日本から遠く離れたところに住んではいますが、この国難にあたり何ができるかを考えている日本人のひとりです。

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○○くんへ。たぶん、あなたの周りにいるバックパッカーたちに中に、あなたにこれを言ってくれる人はあまりいないと思うので、メールの最後にひとこと付け加えておきます。

旅を終える決断をする勇気も必要です。

もう、だらだらしない方がよいのではないでしょうか。旅で得るものも多いでしょうが、失うものの方がが大きくなる前に、決断することも必要ではないでしょうか?

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あなたのこれからの旅路が有意義なものになりなすよう!

March 18, 2011

風邪ひいた。

(mixiの日記からの転載)

今日は仕事を休んでいます。

って、計画停電だの電車がどうの、という理由ではないですよ。アフリカですから。

カゼひきました。いつものようにノドが腫れて熱が出て、ふらふらして仕事になんないので、休み。急ぎの仕事、外せない仕事が一段落したので気が緩んだのかもしれない。

事務所に行かないとNHKも見れないし、そもそも熱でボワッとする頭にはテレビの音もつらいので、テレビはオフ。

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地震の件、いろいろ思うところはある。それはみんな同じだと思う。大量の情報が流れているのが分かる。日本から地球半周離れた場所にいるという自分の環境から、日本にいるみなさんと違うものを見ているかもしれない。

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こういう緊急事態だから、批判めいたことやネガティブなことは書かない、言わないと決めたんだけど、でも、ひとつだけ。

今回の地震の情報を得るのに、新聞社のニュースサイトはほとんど役に立ちませんでしたよ。見ても仕方ない。「たいへん、たいへん!」「もっとちゃんと対応しろ!」という論調の記事ばっかりで、知りたいことが分からないんだもん。

結局、インターネットの向こうにいる、科学者や、専門家や、実際に作業に携わっている人たちの意見を見て回って総合して、何がおきているのか、どのくらい危ないのか自分で考えるしかなかった。

この、もっともメディアが必要とされる時に際して、大手メディアの情報がもっとも役に立たない、ということを悟ったさ。


「頼れるどころか、もはや「有害」な日本の震災報道」

「危機的状況の中の希望」(村上龍のNYTへの寄稿)


ああ、ノド痛い。薬のんで寝ます。

March 13, 2011

東北地方太平洋沖地震

否定的な言葉を発するのはやめよう。みんな精一杯なんだ。応援しよう。

遠くにいて祈ることしかできないけれど、落ち着いたら募金に応じよう。それしかできないから。